GW中、ちょっと考えてみた・・・
以前からいろいろな企業のホームページを見るようにしているのですが、企業によってそれぞれやっぱ個性があるよね?!
(あったり前か・・・)
で、最近はNPO団体などいろいろな福祉系サイトも回覧しています。
最近のは見た目も結構綺麗ですし「いったい、なんのHP?」ってところもありますね。(どこかに外注しているのかな・・・?)
特に販売系のHPにおける、製品紹介の写真などは「これ照明あてて撮ってるだろ!」って感じのすごい所のもある。
その団体がせっかくいい事してたり、いいもの作っていても、見せ方が雑だと普通の消費者なら素通りしてしまいますよね。
「ネット」はだれにでも利用できる媒体だけど、如何にそれを効果的に使うかって事になるとまた話は別ですね。
世間にこびる必要性は全くないし、決して商業っぽいのがよいとは思えない。
個人的には見やすさやわかりやすさが大事かなと・・・目的に容易にたどり着けるかがやっぱり一番かな?!
でも、視覚から入ってくる印象って強いものあるよね!
こんな事は実際、福祉の現場の直接処遇とは一切関係ない事なのですが、そこをあえて企業体においての会社戦略、商品戦略として置き換えてみると、これってかなり大事な一要因だと思うのです。
紙媒体一つにしてもそう。「まーこんなもんでいいだろ」でホントにいいのかな??。私たちは広告業界ではないのでそこまでストイックにとは言いませんが、ただ自分が受け取る側の立場ならどう思うかなって・・・
もし、組織の中に何らかの事に長けている人物がいるとしたら、それは企業の財産(貴重な人材)ですしextraの力として伸ばす必要もあるはずです。なぜなら、展開方法は今、見えているものだけではないと思うからです。
そうしたextraの力を現在の仕事と如何に絡められるか。既存の域を守りつつ次のステップとして如何に新しい枝葉を作っていけるのかを考えていかないと、飽和状態になってしまいますよね。そういった意味で組織も個人も「売り」を持っていれば強いと思うのですが?!
強い会社にはいろいろな力を持った人材が存在している様に感じます。
一般企業では宣伝に多くのお金を使いますよね! なぜなのか?
宣伝効果による利益としての見返りや新たな消費者の発掘、それに企業のイメージアップをはかるためや、有能な人材確保のためですよね。
その方法はターゲットを絞ったやり方など様々です。
全て将来へ向けての投資としての「一手段」であり戦略な訳ですよね。
これを私たちの場合に当てはめると「宣伝」というか「アピール」という事になるのかな?
アピールで思い出したけれど、他分野の人と話していて感じる事は、障害福祉について関係者の方たち以外は殆どの人が「わからない」「知らない」という事です・・・
理解を示して頂きたいために私たちは何らかの発信を行う訳ですが、どちらかというと今までのやり方は、こちらサイドの目線だけにとらわれた方法だったのではないでしょうか・・・?
受け側は純然たる福祉理解者の人たちだけではないですよね?!。もし仮にカテゴリ分けするならば、そちらのカテゴリに入る人たちの方が世の中圧倒的に多いのではないでしょうか?
私たちは利用者の皆さんの事を第一に考えていくのはあたり前で、それが私たち障害福祉に携わる人間の使命です。
しかしそれが「社会と」を意識した時には「相対的」に物事を見て、感じ取っていかなくてはいけない様にも感じています。
要するに「お互いを理解しあう」という事が大事なんだと思うんです。
以前にも少し書きましたが、障害を持つ方達を「私たちは特別ではない」と世間に理解して貰うために、本当に障害を持つ方々が「真」の市民権を得るためには、ここのカテゴリの人たちの理解が絶対に不可欠だと思うのです。
今、福祉業界は自立支援法のもと「地域へ」「社会へ」という方向で、利用者の方たちや保護者の方たちの意思とは反して進んでいるようにも思えます。確かに一人でも多くの方達が社会へ出る事ができて自分の生活が営めるのであれば、そんな嬉しい事はないです。きっとそこには理解と共に成熟した地域社会が展開されている事でしょう。
しかし、それを急ぐがあまり利用者の方たちを社会という戦場の最前線に生身で出させるような事はどうなのかな?とず〜と感じています。
施設から出て、外で暮らすことが「社会参加」って事でしょうか?
施設内で何か「社会貢献」できる事があればどうでしょうか?
これだって、りっぱな「社会参加」ですよね!?
ただ、私が言いたいのは考え方の問題で、一方法論としてです。「社会と交わえる」角度をもう少しだけ変えてみてもよいのではないでしょうか?・・・
少しコメントさせて頂きます。
知り合いと福祉の話をしていてこんなことを言ってました。
「本当の意味でのバリアフリーとは、段差をなくすとか、車椅子でもスムーズに通れることじゃなくて、人と人とが助け合い、支えあっていくのが当たり前の社会になること」だと・・・。この言葉を聴いてはっとしました。
障害者や高齢者といっても、実際どれだけの人が理解しているのでしょうか?はっきり言って、福祉の仕事に就いている人以外は全くと言っていいほどわからないことだらけです。現に私の友人は私のしている仕事がどんなものか全くわからないと言っていました。それだけ、「福祉」というものは閉鎖的なのだと感じました。
社会参加と簡単に世の中は言いますが、今の状態で社会に出たところで、世の中の大半は
コメントが切れてしまっていたので続きを・・・
世の中の大半は接し方がわからず困惑してしまうのではないでしょうか??それでは社会に出たところで住みにくさを感じるばかりです。まずは社会参加の前に、いろいろな形で世の中にアピールしていく必要があると私も思います。
人と人が当たり前のように助け合えるようなる、本当の意味でのバリアフリーには、やはりお互いを理解できなければ成り立たないように思います・・・。
mini7さん コメント有り難うございます。
一概に福祉が閉鎖的かと言えば、最近はどこもがんばっているのではないでしょうか。私が思うに、この業界の一番苦手とするのがこの分野(アピール)に関してだと感じています。
人は解らない事や理解できない事に関しては「疑う」か「拒絶」の態度を往々にして示す様に感じられます。多分、情報も無いのに突然何かが始まったら困惑しますよね?常に自分の身に置き換えればよいのです。しかし、その一方で判断する自分が常に社会の意識(常識とはしません)とシンクロしていないと独りよがりになってしまうのではとも思うのです。極端に言うと、いきなり外国に行って一生懸命日本の良い所を話しても殆ど理解してもらえない状況と類似しているのでは・・・と思うのです。
今がチャンス
ゴールデンウィーク明けの初日。とりあえず、無事帰還したmackyです。 Capt