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支持率 33% だって!

2007 年 8 月 29 日 captain コメント 4 件

先日、上毛新聞(地方新聞です)の一面に『介護の担い手不足深刻』という記事が出ていました。

いろいろ数字が出ていましたが、介護分野に於いては深刻なのだろうと感じます。
民間の福祉分野への参入などによる事業所数の増加や景気回復による他業種への人材の流失などいろいろ要因はあると思いますが、やっぱり働く当事者としては福祉関係職における低賃金の問題が大きいのかな・・・?

『給料安くて、キツイけど、やりがいがあります』
じゃぁ 人は呼べないですよね。
人がいないと、ほんとこの仕事は始まりませんからね。
事業所にも努力の限界はあるし・・・

先月、社会保障審議会の新たな指針(案)も出てましたが、やはり国がきちんと責任持ってやって頂かないと、ほんと日本における福祉はどんどん遅れるような気がします。
年金、社保庁の問題もそうですし、介護保険制度における財源の確保の問題もそうです。
これなんて、一般財源の3倍以上ある、特別会計から少しは廻せないのですかね??

一昨日、新内閣のスタッフが公表されました。
内閣支持率33%、不支持率55%(毎日新聞世論調査)

で、厚生労働大臣はというと、舛添要一さんになりましたね。
この方もともと、介護体験を経て、政治の道に入った方ですので年金問題はもちろん介護保険・医療制度など社会保障制度については、現状を判ってくれている人なのかも知れませんね(私が言うのはとっても失礼ですが・・・)

TVにもいろいろ出演していますし、その中でも政治の在り方に対しても厳しい意見も言っておられます。
実際にその立場となられて、TV同様鋭く切り込んで頂きたいです。
障害を持たれた方たちのことはもちろんですが、福祉全体の現状を把握して、その方たちをを取り巻く環境(事業所)なのどの実態もきちんと問題視して頂ける事を期待します。
我々も、しっかりやらないと・・・!

新たな「美しい国作り」の始まりですね・・・
「美国」って中国語でアメリカをさす言葉だそうです(何かで読みました、余談です)

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福祉は自然に、そこにあるべきこと!

2007 年 7 月 22 日 captain コメント 2 件

高崎は連日、どんよりとした天候です。夏が苦手な私にとってはこのまま秋ぐらいまで飛んでくれればと・・・(苦笑)
でも今日はちょっと朝から蒸し暑いです。

先日、3日間の講習時に講師の方が、これからは『福祉の時代だ』という様なことをおっしゃっていました。
そうだろうな、と思うのですが具体的に何がどのように福祉の時代なのだろうか?と以来ちょっと考えています。

もともと、「福祉」という言葉は日本には存在していなかった様なのです。(ちょっとびっくりです)
日本国憲法作成時に、GHQ案の英語原稿翻訳を行う際Social Welfare(社会福祉)の「welfare」に対応する語が存在しないために充てられた言葉だそうです。

「社会福祉」が成立するまでは「社会政策」「社会事業」などの用語が使われていた。

とあります。

一般の人も調べられるネット辞書で「社会福祉」と検索してみると

貧困者などの生活を保障し,心身に障害のある人々の援助などを行なって,社会全体の福祉向上をめざすこと。教育・文化・医療・労働など,広い分野にわたる。

とでています。
「心」「身」とここではでてきますが、「知」とはでていません。
また、「障害福祉」で検索を掛けると、

英和辞典、和英辞典、国語辞典 [ 障害福祉 ] ので始まるの検索結果 0件

となります。
それでは、「福祉」で調べてみると

〔「し」は「祉(ち)」の慣用音。「祉」は幸福の意〕幸福。特に、社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福。
「公共の―」「社会―」「―事業」

とでています。

どれをとってみても、明確に「○○です」という言葉はありませんでした。
きっと、一言では言い表せない言葉なのでしょう。

「幸福」という言葉の意味合いはいろいろあります。
例えば、人に何かをしてもらって幸せを感じたり、逆に何かをして感じたりです。(Give and Take)
古来、日本には「村社会」などの考え方があります。これは、あまり社交的ではないが、その中の人々はある程度の共通意識として「助け合い」や「義理と人情」といった文化が存在していた様に思います。
考え方を変えれば、昔は「福祉」という言葉を定義する必要性はあえて日本には要らなかったのかもしれません。
なら、どうして今更「福祉(幸福)の時代」なのか?

この前、このことについて少し話を持った人がいるのですが、その人曰く、福祉の時代とは「ケアー」なのではないかと言っていました。
人は一人では生きていけないし、必ず誰かの助けがいる。そこには、思いやりなど様々な気持ち、心が必要となってきます。

自分の心が荒んでいては、人を思いやったり、幸せなどは分け与えることはできないと思います。
ここ数年「癒し」や「ヒーリング」といった言葉が飛び交う様になっています。多種多様な業界にまでこの言葉が使われています。
全てが複雑化する物質文明の中で、人はいろんな意味での「やすらぎ」、「幸福」を求めているのだと感じます。

きっと、「福祉」=「幸福」が今、少しだけ足りないのだと思います。

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Go for the Mirai!  〜improvement〜 SEASON ?

2007 年 7 月 13 日 captain コメント 2 件

11日より3日間、都の社会福祉協議会主催の「管理職員研修」に参加してきました。

東京都のいろいろな施設の方達が参加されていました。
普段どうしても、入所更生に関する情報などはなるべく拾う様に心がけていますが、なかなかそれ以外の情報や知識に関しては忙しい時などはスルーすることが多かったのですが、今回は中央の様々な施設や福祉センター、通所や授産施設、身体関係の方々が参加されていてとても興味深かったです。

当たり前の話ですが、それぞれに問題を抱えています。ハードやソフトの問題などいろいろ聞けて勉強になりました。

今回は管理者研修ですので、福祉経営をめぐる環境の変化についてやそのマネジメントの方法やテクニック等の講義でした。

講師の方が、強くおっしゃられていたことは、まずは自分が確実に変わること。
そして、時代は確実に大きな意味で福祉関係に入っていること。
そして、組織(会社)としての一番の宝は「人」=職員であること。
またこんな時代だからこそ、誰にでも解り易い明確なビジョンを持ち、目的と戦略性を持って想像豊な発想と的確な分析力を持ちなさいと言っていました。

リーダーシップとしての心得やテクニックみたいなものをみっちりと3日間叩き込まれた感じです。

今回参加して良かったと思います。
自分の考えていたことや見ているところは遠からず間違ってはいないと感じ、勇気というか不安みたいなものが少し軽減しました。

後は、それをどうやって形作るかという、方法論的なことです。
「強い意志」とどんな時でも「ぶれない」ということが結構大事かな。

マネジメントに於いては10年前の福祉のあり方とは確実に変わってきているし、捉え方も変わってきている。
一般企業は常に厳しい戦いを強いられている中で、辛い選択や改善などを実行してきた。
これからは、私たちの番だということです。
「社員=職員」は宝だといっていた。私も全く同感です。その宝をどのように育てて行き、活かすかが今後の大きな課題の一つである。
人材育成はどの企業でもどの時代でも大きいことなのです。

良いのか、悪いのかは解りませんが、福祉業界においても発想や改善のできない全ての施設や人は本当に消える時代になりそうです。

さばっと、書きましたが、今後もこの話題は連載的に書いてみたいと思います。

4年に1回? 2年に1回?

2007 年 5 月 20 日 captain コメント 6 件

先日、法人監事監査がやっと終わりました。来週末には今度は評議員会、理事会が行われます。
事務方はここ1週間位忙しかったです。

群馬県から『社会福祉法人指導監査実施要網』の一部改正(19年3月30日)についてという書類が送られてきました。
「社援発」とありましたから厚労省(国)のオフィシャルで、これを受けて東京都も独自の実施要網が『社会福祉法人・施設等指導監査実施要網』というタイトルで送られてきました。(19年4月1日から適用です)
内容は実施監査回数の見直しと書面監査を廃止、一部指導監査事項の変更です。
実施監査回数は毎年又は随時、2年に1回、4年1回のいずれかとなるそうです。今後はいずれかに該当することとなるわけです。

【法令遵守】
・社会福祉法人本部の運営について関係法令・通知などに照らし合せて大きな問題がない場合。
・法人が経営・運営する事業等について施設基準・運営費や報酬の請求に大きな問題がない場合。
【法人の積極的な取り組】
・外部監査の活用(公認会計士等、税理士)の活用
・苦情解決への取り組みが適切に行われており、また第三者評価を受けそれを公表。
・地域の様々な福祉需要に対応し、社会貢献を踏まえた地域への開かれた事業運営が行われている。

所轄庁が法人本部運営や当該法人が経営・運営する福祉事業を上記した条件等などと照らし合せて判断する(ABC評価)
全ての条件を満たしていればA:4年に1回となるわけです。

県の書類には新旧対比が添付されていましたが、指導監査事項についても、随分と削除項目が多くなっています。また資産管理については、条件付ではありますが、株式の保有を認めるとか書かれています。
4年に1回とするためには外部監査の実施は必須事項のようです。これ受けていないとA評価が貰えないようなのですが、何かヘンだよね・・・???
私の認識不足ならごめんなさいですが、いくら福祉も自立しなさいと言っても、公的資金をお預かりしている身でそのお金をそんな風に使ってもよろしいわけですか?国民の皆さんは納得してくれているのでしょうか?(いよいよ福祉もマネーゲームの世界ですか?)

国は将来的には福祉からも税金を収めて貰いたいと考えているのでしょうかね。(??)なんかヘンな話ですが・・・

どうなんだろ?!

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GW中、ちょっと考えてみた・・・

2007 年 5 月 6 日 captain コメント 4 件

以前からいろいろな企業のホームページを見るようにしているのですが、企業によってそれぞれやっぱ個性があるよね?!
(あったり前か・・・)
で、最近はNPO団体などいろいろな福祉系サイトも回覧しています。
最近のは見た目も結構綺麗ですし「いったい、なんのHP?」ってところもありますね。(どこかに外注しているのかな・・・?)

特に販売系のHPにおける、製品紹介の写真などは「これ照明あてて撮ってるだろ!」って感じのすごい所のもある。
その団体がせっかくいい事してたり、いいもの作っていても、見せ方が雑だと普通の消費者なら素通りしてしまいますよね。
「ネット」はだれにでも利用できる媒体だけど、如何にそれを効果的に使うかって事になるとまた話は別ですね。
世間にこびる必要性は全くないし、決して商業っぽいのがよいとは思えない。
個人的には見やすさやわかりやすさが大事かなと・・・目的に容易にたどり着けるかがやっぱり一番かな?!
でも、視覚から入ってくる印象って強いものあるよね! 

こんな事は実際、福祉の現場の直接処遇とは一切関係ない事なのですが、そこをあえて企業体においての会社戦略、商品戦略として置き換えてみると、これってかなり大事な一要因だと思うのです。
紙媒体一つにしてもそう。「まーこんなもんでいいだろ」でホントにいいのかな??。私たちは広告業界ではないのでそこまでストイックにとは言いませんが、ただ自分が受け取る側の立場ならどう思うかなって・・・
もし、組織の中に何らかの事に長けている人物がいるとしたら、それは企業の財産(貴重な人材)ですしextraの力として伸ばす必要もあるはずです。なぜなら、展開方法は今、見えているものだけではないと思うからです。
そうしたextraの力を現在の仕事と如何に絡められるか。既存の域を守りつつ次のステップとして如何に新しい枝葉を作っていけるのかを考えていかないと、飽和状態になってしまいますよね。そういった意味で組織も個人も「売り」を持っていれば強いと思うのですが?!

強い会社にはいろいろな力を持った人材が存在している様に感じます。
一般企業では宣伝に多くのお金を使いますよね! なぜなのか?
宣伝効果による利益としての見返りや新たな消費者の発掘、それに企業のイメージアップをはかるためや、有能な人材確保のためですよね。
その方法はターゲットを絞ったやり方など様々です。
全て将来へ向けての投資としての「一手段」であり戦略な訳ですよね。

これを私たちの場合に当てはめると「宣伝」というか「アピール」という事になるのかな?

アピールで思い出したけれど、他分野の人と話していて感じる事は、障害福祉について関係者の方たち以外は殆どの人が「わからない」「知らない」という事です・・・
理解を示して頂きたいために私たちは何らかの発信を行う訳ですが、どちらかというと今までのやり方は、こちらサイドの目線だけにとらわれた方法だったのではないでしょうか・・・?
受け側は純然たる福祉理解者の人たちだけではないですよね?!。もし仮にカテゴリ分けするならば、そちらのカテゴリに入る人たちの方が世の中圧倒的に多いのではないでしょうか?

私たちは利用者の皆さんの事を第一に考えていくのはあたり前で、それが私たち障害福祉に携わる人間の使命です。
しかしそれが「社会と」を意識した時には「相対的」に物事を見て、感じ取っていかなくてはいけない様にも感じています。
要するに「お互いを理解しあう」という事が大事なんだと思うんです。
以前にも少し書きましたが、障害を持つ方達を「私たちは特別ではない」と世間に理解して貰うために、本当に障害を持つ方々が「真」の市民権を得るためには、ここのカテゴリの人たちの理解が絶対に不可欠だと思うのです。

今、福祉業界は自立支援法のもと「地域へ」「社会へ」という方向で、利用者の方たちや保護者の方たちの意思とは反して進んでいるようにも思えます。確かに一人でも多くの方達が社会へ出る事ができて自分の生活が営めるのであれば、そんな嬉しい事はないです。きっとそこには理解と共に成熟した地域社会が展開されている事でしょう。
しかし、それを急ぐがあまり利用者の方たちを社会という戦場の最前線に生身で出させるような事はどうなのかな?とず〜と感じています。

施設から出て、外で暮らすことが「社会参加」って事でしょうか?
施設内で何か「社会貢献」できる事があればどうでしょうか?
これだって、りっぱな「社会参加」ですよね!?
ただ、私が言いたいのは考え方の問題で、一方法論としてです。「社会と交わえる」角度をもう少しだけ変えてみてもよいのではないでしょうか?・・・